セックス

★以前「草食とか肉食とかいうカテゴライズが苦手」というエントリを書いたことがありますが、自分ではその後も草食とか肉食とかになんか釈然としないものを感じていて、「カテゴライズ自体が苦手なのか?」「それともほかに何か苦手な要素があるのか?」と考え続けていたのですが、こないだ「あ!」と気づいたことがあったので、書いておきます。


 私は昔は、人が「誰が誰を食った」とかいう話を聞いたりしても、あまり何も感じなかったのですが、あるとき、ある人に「俺、その『食った』とか『食う』っていう言葉がすごく嫌なんだよね」と言われて、ああ、たしかにいやだなぁ、と思ったんですね。誤解をおそれずに言えば、下品ということです。下品なのが悪いとか、上品なのがいいとかいう問題ではないので(そんなこと言い出せば私の職業だって下品そのものだし)それを軽蔑しているとか、そういう意味ではないです。


 自分はセックスした相手に「食った」なんて言われたくないし、自分も「食った」とか思いたくない。もちろんいやな思い出になった経験もあるし、忘れたいようなこともあるし、セックスそのものが合わなかったということもあるけど、できれば「セックスした」「からだを重ねた」という思い出にしときたい。きれいごとですが、そういうことです。セックスを「食」という言葉で表現するのは、ある意味ものすごくしっくり来るし、だからこそこれだけ流通しているのでしょうが、「食」にしちゃうとなんか、ごっそり抜け落ちるものが多くて、これもだからこそ「ごっそり抜け落ちてくれるから、セックスをシンプルに語りやすい」ってことかもしれないと思いますが、個人的にはちょっと苦手、というだけの話ですね。


 それは、セックスにまつわる話を、私が笑いに変換する能力がない、ということと、おおいに関係があると思います。「からだを重ねた」とかさぁ、モロナベジュン(渡辺淳一)センスじゃん! と自分でも思いますよ……。「食った」とか言ってるほうがぜんぜんすがすがしいよね。こういう自分のナベジュン的センス、ちょっとイヤなんですけどね。いやかなりイヤですけどね! さっぱりすっきり「食った」とか言えたらどんなにいいかと思いますけどね! 言えないから、うらやましーという気持ちも混じって「食」的な表現に拒否反応が起こるのだろうな。と、自己分析。


 「嫌い」とか、嫌悪感を感じることの中には、往々にして羨みやねたみ、または謹慎憎悪が混じってるのは、今までの経験上よくわかっている(なので、「大キライ」なものが突然裏返って「大好き」になることは、よくあることだし、おかしなことでもなんでもない)ので、ちょっとひっかかっていたことについて、自己分析してみました。ま、わかったことは俺がナベジュン的なセンスの持ち主だということか……。いやな収穫だ!